2018.8.16 upload

5.土壌の掘削と植物の遷移

(1)土砂の採掘

図1.渡良瀬遊水地の衛星画像(google) 過去にあった土砂採掘の跡が読み取れる。
図1.第3調節池の衛星画像(グーグル) 過去にあった土砂採掘の跡が見てとれる。

  1918年(大正7年)に渡良瀬川が付け替えられて現在のようになってから、渡良瀬遊水地の環境は大きく変わったと考えられますが、さらに1963年(昭和38年)から、遊水地内を第1調節池、第2調節池、第3調節池の3つにしきるための堤防(囲繞堤)づくりが始まりました。

 

 囲繞堤(いぎょうてい)の一部分は低くされ(この部分を越流堤と呼ぶ)、河川が極度に増水したときだけそこから水が流れ込んで調節池内に水を貯めます。また排水門を設けることで排水の管理もできるようなりました。

 

 囲繞堤が完成したのは、第1調節池が1970年(昭和45年)、第2が1972年(昭和47年)、第3が1997年(平成9年)となっています。

 

 この間、堤防づくりに必要な土砂をとるため、遊水地の様々な場所が長期にわたり場所を変えて掘削されました。その痕跡は上空からの衛星写真を見るとよくわかります(図1)。

(2)掘削工事と植物

図2.工事があって裸地ができたときの画像
図2.工事で裸地ができる

 掘削があると、それまであった植物ははぎ取られて、裸地ができます(図2)。

 

 しかしすぐに植物は生えてきます。

 

  ところが面白いことに、最初に生えてくるのは、それまでヨシやオギなどがびっしり茂っていたときにあった植物ではありません。たいていの場合、まったく違う植物相が形成されるのです。

 

 

  理由は次のように考えられます。

(3)掘削後に出現する植物

図3.掘削後に生えてきたミズアオイとオモダカの画像
図3.掘削後に生えてきたミズアオイとオモダカ 掘削地を象徴する植物

 ヨシ・オギが密集状態になると、地表は暗くなるので、多くの植物は生育できません。

 

 しかし昔、これほどヨシ・オギが生えていなかったときにはもっといろいろな植物があったと考えられます。ヨシ・オギが茂ったために消えてしまっていたのです。ところが幸い種子が土の中で眠っていました。

 

(ただ種子には寿命があり、その長さは植物によって大きく異なっているため、すべてが永遠に生きているわけではありません。)

 

 掘削によって地表に出た種子は、強い光と温度の変化を感じることで発芽します。土の中で静かに眠っていた植物たちが目覚めるときです(図3)。

 

 その中には、いまや日本全国で激減したため国の絶滅危惧種に指定されたものがたくさん見られます。

 渡良瀬遊水地では国の絶滅危惧種が60種以上も見つかっていますが、その半数はこのような工事後の裸地にあります。

 

 渡良瀬遊水地では現在、大きな土木工事がこのような植物の復活の手助けをしています。

 

 渡良瀬遊水地でこれほどたくさんの絶滅危惧種が出現する理由として、一つあげておくべきことがあります。

 それは除草剤の影響がなかったということです。渡良瀬遊水地は大正時代以降無人となったため、昭和以降に広く使われるようになった除草剤を浴びることがなかったのです。

 

 現在全国の水田では除草剤が大量にまかれており、水田に生える多くの湿地の植物(水田雑草)はそのために激減したと想像されます。そして絶滅危惧種となってしまったのです。

 

 (一方で除草剤が効きにくい種があって、そちらはかえって水田で勢力を増しています。)

(4)遷移

 裸地ができたときに最初に生えてくるのは、土の中で眠っていた種子(埋土種子)、風に乗って飛んできた種子、土の中に残っていた地下茎、から発芽したものです。一年草が多く、小型のものがまばらに生えています。(図4,7,10)

 

 年を追うごとにいろいろなものが次々と生えてきて、草丈の低い草原(低茎草原)ができていきます。多年草が優位になっていきます。(図5,8,11)

 

 富栄養化した土地では、ヨシ・オギなどが侵入するとそれが大きく生長して地表が暗くなるために、暗さに適応できる植物以外は消えていきます。(図6,9,12)

 

 このような一連の変化を遷移と言います。

図4.湿性裸地の図
図4.湿性裸地
図5.低茎草原の図
図5.低茎草原
図6.高茎草原の図
図6.高茎草原

図7.掘削後の湿性裸地 1990年
図7.掘削後の湿性裸地 1990年
図8.低茎草原への遷移 1992年の様子の画像
図8.低茎草原への遷移 1992年
図9.ヨシ・オギの高茎草原への遷移 2006年の様子の画像
図9.ヨシ・オギ原(高茎草原)への遷移 2006年

図10.裸地になって翌年に生えてきたミズアオイ 2002年の画像
図10.裸地化の翌年に生えてきたミズアオイ 2002年
図11.大きな群落になったミズアオイ 2004年の画像
図11.ミズアオイの大群落ができた 2004年
図12.ヨシやガマが繁茂してミズアオイが消えてしまった 2006年の画像
図12.ヨシやガマが繁茂してミズアオイは消えた 2006年

(5)遷移と絶滅危惧種

 渡良瀬遊水地で見られる絶滅危惧種が、遷移のどの時期に生育するかを示したものが以下の図です(図13)。

図13.渡良瀬遊水地において遷移の各段階に現れる主な絶滅危惧種(例)の図
図13.渡良瀬遊水地において遷移の各段階に現れる主な絶滅危惧種(例) ※は春植物を示し、ヨシ・オギが生長する6月までに生活を終える。

 図13では代表的な絶滅危惧種をあげていますが、遊水地での観察の結果として、湿性裸地21種、低茎草原10種、高茎草原9種としています。

 

 このように、湿性裸地で絶滅危惧種の種数が圧倒的に多いことがわかります。そして遷移の進行とともにその数が減少していきます。

 

 最後に残れるものは、暗くても生育可能な種と、ヨシ・オギが伸びきる前に1年の生活を完結する春植物です。

(6)考察

 1906年(明治39年)に谷中村が廃村になるまで、ここでは自然を利用しながら人々が暮らしていました。

 

 当時この土地の大部分は、今よりも貧栄養で痩せ地だったと思われます。そのためヨシ・オギなどは背の低いものがまばらに生えているような状況で、かえって小型の植物の多様性は高かったのではないかと考えられます。

 

 その後渡良瀬川の付け替えで河川の土が大量に流入し、全国的に国土の富栄養化が進行したこともあって、土壌の富栄養化が進みヨシ・オギが旺盛に繁茂するようになったと想像されます。

 

 そのため昔あった植物の多くが消えてしまいましたが、そのうち種子の寿命の長い種が土の中で静かに眠っていると思われます。

 

 渡良瀬遊水地では主に昭和30年代から堤防を造るために盛んに土砂の採掘が行われてきました。そのたびに裸地ができて、埋土種子から、過去に人々とともに暮らしていた植物たちが復活してきました。しかしその後の遷移によって植物相の変遷が繰り返されています。

 

 掘削は長期にわたって場所を変えて行われてきたので、現在でも遊水地のあちこちで遷移の様々な段階が見られます。そこでは違った植物相が形成されているので、トータルとして渡良瀬遊水地の植物相の多様性を高いものにしていると考えられます。 

(7)まとめ

 渡良瀬遊水地では掘削工事が行われて裸地ができることが繰り返されてきました。

 

 このようにしてできた裸地には、ヨシ・オギ原のときに見られなかった植物が出現します。土の中で眠っていた種子が発芽するのです。その中にはたくさんの種類の絶滅危惧種があります。

 

 さらに年月の経過に伴って、植物群落は低茎草原、高茎草原へと変化していきます。そして生育できる植物も変わっていきます。

 

 ヨシ・オギ原などの高茎草原になると適応できる種は少なくなるために、多様性は低いものとなります。

 

 渡良瀬遊水地における掘削・土壌攪乱は、植物の多様性を復活させることから、大変重要な意味を持っていると考えられます。

(文責 MO)   


植物に関わる環境要因

 1.面積

 2.冠水と水環境

 3.ヨシ焼き 

 4.富栄養化

 5.土壌の掘削と植物の遷移