環境要因


2020/10/06 更新

1.面積

(1)湿地面積の広さ・・・北海道以外で第1位

 渡良瀬遊水地の自然環境の豊かさを支えているのは、まずその面積の広さにあります。

 

 渡良瀬遊水地全域の面積は約33㎢ですが、湖沼部分を除くと、湿地面積は約20㎢とされています。

 

 

 

 表1は、全国の湿地面積を広い順に50位まで並べたものです。(国土地理院ホームページから改変)

 

 第1位は釧路湿原ですが、渡良瀬遊水地は第6位です。

 

 北海道に広い湿地がたくさんあることもわかります。

 

 北海道以外では、渡良瀬遊水地が圧倒的に第1位です。

 

 第2位は尾瀬ヶ原ですが、渡良瀬遊水地の半分に満たない面積です。

 

 西日本は東日本よりも広い湿地がさらに少なく、47位に西表島の仲間川湿地が入っています。

 

 このように渡良瀬遊水地は、本州以南ではほかにないほど広い湿地です。

 

 広いことに加えて地形に微妙な高低差があるため、水環境が多様になり、そのため適応できる植物の幅が広く、暖温帯の低湿地に生育する種の宝庫となっているのです。

 

 

 

 

表1 (現在の)全国湿地名称別の面積 Top50

順位 湿地名   現在面積(ha)
1 釧路湿原 北海道 22656.13
2 別寒辺牛川流域湿地 北海道 10824.62
3 根釧原野湿地群 北海道 8626.15
4 サロベツ原野 北海道 6042.78
5 霧多布湿原 北海道 2977.04
6 渡良瀬遊水地 東日本 1967.07
7 厚岸湖周辺湿地 北海道 1368.06
8 勇払原野 北海道 1350.42
9 床丹川流域湿地 北海道 1044.77
10 尾幌川流域湿地 北海道 1038.17
11 春別川流域湿地 北海道 958.04
12 猿払川流域湿地 北海道 889.05
13 当幌川流域湿地 北海道 886.52
14 尾瀬ヶ原 東日本 848.68
15 稚咲内沿岸小湖沼群湿地 北海道 819.32
16 浅茅野湿地 北海道 774.94
17 根室半島湿地群 北海道 711.25
18 根室南西部湿地群 北海道 609.06
19 野付崎湿地 北海道 594.74
20 生花周辺湿地 北海道 550.68
21 クッチャロ湖周辺湿地 北海道 459.41
22 西春別湿地 北海道 401.11
23 西別原野湿地 北海道 386.7
24 春国岱湿地 北海道 373.19
25 当縁川河口湿地 北海道 359.11
26 馬主来沼周辺湿地 北海道 302.87
27 湧洞沼周辺湿地 北海道 285.6
28 網走湖周辺湿地 北海道 285.24
29 コイトイ川流域湿地 北海道 281.14
30 火散布沼周辺湿地 北海道 272.34
31 御鼻部山湿地 東日本 264.94
32 コムケ湖周辺湿地 北海道 262.75
33 長節湖周辺湿地 北海道 247.63
34 幌戸湿地 北海道 239.41
35 印旛沼周辺湿地 東日本 228.27
36 標津川流域湿地 北海道 209.86
37 雨竜沼湿原 北海道 195.13
38 飛雁川流域湿地 北海道 191.54
39 戦場ヶ原 東日本 191.52
40 十勝川下流域湿地 北海道 191.12
41 尾瀬沼湿原 東日本 181.83
42 原始ケ原湿地 北海道 177.86
43 東通湿地 東日本 170.32
44 茶志骨川流域湿地 北海道 159.54
45 屏風山湿地群 東日本 158.03
46 涛沸湖周辺湿地 北海道 155.96
47 仲間川湿地 西日本 154.96
48 駒ヶ峰湿地 東日本 153.3
49 伊豆沼内沼長沼周辺湿地 東日本 149.66
50 苫小牧川湿地 北海道 148.2

 

国土地理院ホームページ

 http://www.gsi.go.jp/kankyochiri/list_1.html

より改変


(2)大正時代以降の面積拡大‥その理由は?

 

 ところで、渡良瀬遊水地の湿地面積は、大正時代以降にぐっと広がったのです。表2をご覧ください。

 

表2 湿地面積変化率(出典は表1と同じ)

湿地名   明治大正時代面積 現在の  面積(ha) 変化量 変化率(%)
釧路湿原 北海道 33738.97 22656.13 ▲11082.84 ▲32.85%
別寒辺牛川流域湿地 北海道 9618.16 10824.62 1206.46 12.54%
根釧原野湿地群 北海道 11278.33 8626.15 ▲2652.18 ▲23.52%
サロベツ原野 北海道 12250.36 6042.78 ▲6207.58 ▲50.67%
霧多布湿原 北海道 2558.19 2977.04 418.85 16.37%
渡良瀬遊水地 東日本 347.8 1967.07 1619.27 465.58%

 

 これを見ると、明治・大正時代の面積より現在の面積の方がずっと広いことがわかります。

 

 その理由は次のとおりです。

 

 昔この土地は河川の合流域にある輪中(わじゅう)で、堤防で囲われた村々の集落がありました。

 

 ところが渡良瀬川上流の足尾銅山から出た鉱毒が、洪水のたびに下流の田畑に大きな被害を及ぼし、1890年(明治23年)頃から足尾鉱毒事件が表面化しました。そのことは、被害地農民の抗議行動や田中正造の帝国議会での追求などで、当時の大社会問題となりました。

 それについては多くの本などが出されており、日本の公害問題の原点と言われています。

 

 結果として、ここに最後まであった谷中村は明治39年に廃村となり、1918年(大正7年)には渡良瀬川の流路が現在のように付け替えられて、この地一帯が無人の大湿地となったのです。

 

 この地域は、湿地帯に立地しつつも、昔は人が生活をしていた里地であったわけです。

 人々は自然堤防などの乾燥した土地に、家を建て、畑を作って生活していました。詳しくはこちら

 

 すなわち村のあった時代、人々が暮らしていた場所は湿地ではなかったということです。

 

 近年、渡良瀬遊水地が乾燥化して問題であると言われることがありますが、過去の環境は極めて多様であったことから、一概に論ずることはできないと思われます。 

 

 人が暮らしていると、木を切り、田畑を耕すなど自然に様々な手が加わります。

 それによって地面によく日が当たる環境が維持され、強い日光を必要とする小型の植物にとってはとてもありがたいのです。

 

 里地・里山は、人間の活動によって環境が多様化するため、生物多様性がとても高いと言われています。

 

 

 これらのことも、渡良瀬遊水地に里地の湿地植物が今でもたくさん見られる、あるいは土の中に眠っている大きな理由と考えられます。

(文責 MO)


植物に関わる環境要因